【動画つき】せいくらべ 童謡の歌詞と意味柱の傷はおととしの
5月5日のこどもの日。
昔ながらに童謡などを歌って楽しみたいという方も多いでしょう。
こどもの日の童謡というと「こいのぼり」が有名で、「屋根より高いこいのぼり」「いらかの波と雲の波」などすぐに口ずさめますね。
でも、子供の日の童謡「せいくらべ」もとてもよい曲です。
「柱の傷はおととしの 五月五日の背くらべ」と聞けば、「あぁ知ってる」となるでしょう。
ここでは、童謡「背比べ」のYoutube動画をご紹介しながら、その歌詞と意味を解説します。
童謡「せいくらべ」の動画と歌詞
まずは、Youtubeの動画で、この「せいくらべ」を聞いてみましょう。
「せいくらべ」の歌の動画
「せいくらべ」の歌の歌詞
童謡 『せいくらべ』
作詞者:海野厚
作曲者:中山晋平
【1番】
柱の傷は おととしの
五月五日の 背くらべ
ちまき食べ食べ 兄さんが
計ってくれた 背のたけ
昨日くらべりゃ 何のこと
やっと羽織の 紐のたけ
【2番】
柱にもたれりゃ すぐ見える
遠いお山も 背くらべ
雲の上まで 顔だして
てんでに背伸び していても
雪の帽子を 脱いでさえ
一はやっぱり 富士の山
この「せいくらべ」は、1919年(大正8年)、雑誌『少女号』に海野厚の詩が掲載され、曲としては1923年(大正12年)に発売された『子供達の歌 第3集』が初出です。
せいくらべの歌詞の意味と柱の傷に秘められた想い
歌の歌詞に出てくる5月の風物詩と生活の様子
この「せいくらべ」には大正当時の生活の様子や5月のこどもの日にちなんだ風物詩が出てきて、とても興味深いものです。
まず、柱。
昔ながらの日本家屋ですので、家には数本の柱があります。
多分、縁側にほど近い柱に、小刀などで横棒の傷をつけて、そのときの背の高さを計って記録していたのでしょう。
柱の傷が一昨年のものであるのは、昨年は計ってくれたお兄さんがいなかったから。。。
だから、今年は久しぶりのお兄さんと、柱の傷を見ながら一昨年のことをしみじみ思い出しているのでしょう。
この歌の作詞家である海野厚(うんのあつし/1896-1925)は、静岡県豊田村曲金(現在の静岡市駿河区)の出身です。
厚本人は7人兄弟のいちばん上ですが、17歳年下の弟春樹をことのほか可愛がっていたようです。
海野は地元を離れて上京していたため、故郷に帰るのは久しぶり。
そこで母親の作ったちまきを食べながら弟の背の高さを計ってやっていたのを、弟の立場で歌に詠んだものと思われます。
「羽織の紐の丈」の意味には諸説あるようですが、厚がこの歌を発表した当時は23歳、とすると弟は6歳足らず。
きっと昨日、厚が帰ってきたときに弟が飛びついて、その背の高さが厚の着ている羽織の紐のあたりだったのでしょう。
「ぼく大きくなったよ」と言いながらも、まだまだ兄のお腹あたりの背の高さだ、何のことはない、と歌っています。
そして2番。
そんな柱の傷を前に一昨年を懐かしみながら柱にもたれて2人で外を見ると、5月の澄み切った空気に遠方の山々が見えたのでしょう。
その頃には背の高いビルなどはありませんから、たくさんの山が見えて、それらがあたかも背比べをしているようだねと2人は語り合ったのです。
雲の上までてんでに頭を出して山々が背の高さを競っている風景を見ながら、「それでもやっぱり富士山が日本一だよね」「富士山の雪で白く見えるところをはずしたって、他は全然かなわないよね」と話す、そんなのどかでたわいのない、でも、それでいて厚にとってはかけがえのない思い出の一コマなのです。
こののち、厚は28歳で結核で亡くなっています。
きっと厚の瞼には、あの弟との背比べや山々の背比べが、懐かしく思い出されていたことでしょう。
せいくらべの動画歌詞意味 のまとめ
さて、兄弟のほのぼのとした5月の情景を描いた「せいくらべ」。
この童謡の歌詞と意味をご紹介しましたが、歌を味わっていただくことはできましたでしょうか?
「柱の傷はおととしの」と口ずさみながら、海野厚に想いを馳せてくださいね。